彫刻家 INOUE junichi

こんな島にも日本人の彫刻家が住んでいると聞いた。あいにく、休暇で留守のようであったが、静かな林の奥まった所にあるアトリエ兼自宅の前まで行ってみた。彼はデンマークの彫刻家のもとで制作を共にしていた。やがてその作家のお嬢さんと結婚をして、ボーンホルム島に住みつき作品を作っている。石屋らしさが漂うアトリエだった。
作品はどことなく、太古を思わせるような有機的な素石とデザインカットされた石の組合せで、この国では特異として人々の目を惹くのかもしれない。岩盤の島、岸壁、花崗岩や白砂といった自然環境が作家の造形をこの地に深く結びつけたにちがいない。Ronnoの中心街の広場に設置された彼の作品を見に行った。井上のアトリエや作品から、ふいに日本の雨引の里を思い出した。ひっそりと水をためた四方体の村井進吾の作品は洗練されていてミニマムだとこの時感じた。

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白い円筒教会

ボーンホルム島の歴史はデンマークの中でも異色だ。それはバルト海に浮かぶ島の位置に関係しており、略奪戦を繰り返すたびに帰属国が変わる複雑な情勢が物語っている。
およそ1億3千年前のボーンホルム島は、大型の鳥類が駈け回っているような時代だった。やがて1万年前に初めて人間がこの島へ渡って来る。ヨーロッパ各地を海賊が荒らしまわっていた時代、この島も決してその例外ではなかった。丘の要塞は当時の島の農民たちが海賊を逃れて避難する場所として築いたといわれている。
分厚い白壁の丸い円筒形のエスターラース教会は800年の歴史を持つ。この円筒教会は外敵から守るため、あるいは戦い時の食料倉庫などに利用されていた。内部には弾薬を投下できる小窓があったり見張り窓などもあって、教会という神聖な場とは少し違った空気が流れていた。
1658年のスウェーデン戦争下で、ボーンホルム島はスウェーデンの帰属に従わず、この教会からもおそらく銃撃戦を決行してデンマークに返還した。第2次世界大戦末期の1945年には、RonnoとNexoの街が爆撃にあいロシア軍に占領される。この占領は終戦を迎えるまでの約11ヶ月にまでおよんだ。戦後はスウェーデンの援助によりこの二つの街の再建が始まり、300軒余りのスウェーデン式木造住宅が建ち並んだ。第2次世界大戦後もボーンホルム島は冷戦下でNATO加盟国との間に緊迫した関係がもたらされていた。
様々な歴史的惨事の末、ボーンホルム島はデンマークを帰属国とすることになる。この小さな島はデンマーク存命を願いつつも、独自の独立運動も盛んで、家々のところどころに掲げられている赤地に緑の十字の旗がこの島の国旗だといわれている。

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ハマースフスの城跡

夏だというのに薄曇りの島の最北端は、相変わらず冷たい風が強く吹きつけている。北欧最大といわれるハマースフスの城跡に向かって丘をのぼって行く。バルト海をのぞむ、この中世の要塞はスウェーデン司教が個人邸宅として築いたものといわれていた。けれども実際は、デンマーク国王が12世紀の初頭に建てたものという有力が説があって、所有管轄はたび重なる戦争で返還、略奪がくりかえされたという歴史をもつ。
石碑には
「人々はここで異国の支配を断ち切った
崖が海を食い止める場所にて解放された種族は父なることばをもつ
何があってもボーンホルムはデンマークの島である」
穏やかで美しい廃墟と化した城は、かつて戦いのあった地とは思えないほどで、むしろアンドレイ・タルコフスキーのフィルムの世界に引き込まれたような錯覚をおこす。城跡という舞台を背景に旅する自分を回想しイメージがふつふつと沸き立ってくるのだ。
壊れても美しいとはこういうことなのか。

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